昭和29年1月1日生まれの70歳です。おめでたい誕生日ですが、あらかじめ頼んでおいたわけではありません。ちなみに秀吉や五右衛門と同じ誕生日だそうです。
私が32歳のとき前住職の父が亡くなったので、かれこれ30年以上住職を務めてきました。受け継がれてきたものを大切にしながら、形にこだわらず開かれたお寺を目指してきました。また、30年以上大阪の大学で教鞭をとってきました。ヤスパースやハイデガーといったドイツの現代哲学を主に研究してきましたが、いまは新しい親鸞教学の道を切り開いた清沢満之、そして西田幾多郎など日本の哲学の勉強に没頭しています。通勤に往復5時間かけて通った大学は、先年無事に停年退職しました。
あとを継ぐべく息子たち4人がはるばる横浜から帰ってきました。うれしいやらハラハラドキドキやらの毎日ですが、「開かれたお寺」「みんなが集えるお寺」という我が寺のコンセプトを大切にしてお寺づくりをするということですので、坊守ともども老体に鞭打ってサポートして行きます。」
住職 堤 正史
2020年の春に、家族で、横浜から戻ってきました。よろしくお願いいたします。11年間小学校の教員をしてきました。今は、大仙寺で僧侶として生きております。全ての人が生き生きと自由に生きることができる平和な世界をつくりたい。それが、僕の僧侶としてのモットーです。お寺に、大人や子どもが集まり、賑やかになっていけばいいなと思っています。人が集うとそこに「つながり」が生まれる。つながりがあると、安心が生まれる。現在は、寺子屋を運営しながら、JICAの国際協力推進員として、途上国と日本をつなぐ仕事をしています。ここまで書くと、なんだか立派な生き方をしてきたように聞こえるでしょう。でも、僕自身は、地獄の命を生きてきて、よく生き残ったなと思うような人生を歩んできました。底抜け体験があったから、今があります。
またいつ転落するか分かりません。それでも、まぁぼちぼちしています。
副住職 堤 真人
1620年ごろに、大仙寺は開かれました。
伊賀の国の藩主藤堂家のお姫様が、本山である専修寺(津市)と伊賀のお城をつなぐために建立を命じました。また、松尾芭蕉との関わりがあり、第3代の住職が句会をしていたという記録が残っています。由緒のあるお寺ですが、350年以上にわたる歴史は平坦ではありませんでした。檀家が少なく、維持は困難を極め何度も廃寺の危機にあっています。しかし、檀家の方はじめ多くの方々が苦心を重ねて、寺の存続に尽力して下さいました。大仙寺はお念仏に貫かれた人々の願いの結晶です。